「在宅医療」 日本医学中央会 通巻37号 2002年2月
 湘南在宅ケアセミナー
 
訪問ボランティアナースの会キャンナス
    
         
      12月18日の日曜日、訪問ボランティアナースの会キャンナスが藤沢市市民会館で「家で死にたい!
看取りたい!在宅ホスピスの実現に向けて」とのタイトルで在宅ケアセミナーを開催した。市民にも一般公開
されたセミナーは雲一つない快晴に恵まれ、賛助企業による機器展示も行われて看護婦だけでなく患者家族ら
450人ほどの聴衆が詰め掛けた。

 患者の決定を重んじ、その痛みを感じる

 プログラムは特別講演にペインクリニック小笠原医院院長小笠原一夫氏の「こうすれば家で死ねる 
在宅ホスピスのための10の条件」。続いて小笠原氏、新宿ヒロクリニック院長英裕雄氏、
テルモ(株)在宅医療部高嶌恒夫部長、滝野川やすらぎ看護ステーションの薬剤師でケアマネジャー斎藤知紀氏、
キャンナス代表菅原由美氏5名によるパネルディスカッション「どうすれば出来るの?在宅ホスピス」。
そして最後に東海大学病院地域医療センター長谷亀光則氏の講演「大学病院でできること」の3題。

 小笠原氏は講演で今は多くの癌が手術の適応となった。昭和20年代に在宅死率90%だったのが
今は10%を切っているなどと、総合病院麻酔科医長の頃と現在との対比から切り出して論を進めた。

 「当時は患者さんが痛みを訴えると時々一般の痛み止めを打ってもらい、あとは、癌だから仕方がない。
我慢させるということだった。病床には必ず一人や二人痛みで大声をあげている患者がおり、病棟で麻酔科医であった
自分ははじめてこの問題をなんとかしなければということを了解した。しかしそのうちにこの患者さんたちは身体の痛みだけを
訴えているだけではないと思うようになった」

 「患者はみな死ぬ前日まで抗がん剤を打たれ、何も知らされず『弱気を出さずにがんばって』と看護婦に
肩を叩かれている・・・・・・」などと当時の病院医療を語った。

 続いてホスピスを始めてから見えたこととして次のようにまとめた。

 それまでの私は病院勤務医として

@患者が自ら決めることを無視していた、A人の苦痛に対してどんかんであった、B見えないものの力を
信じようとしなかった、C不平等な医師ー患者関係に気がつかなかった、D患者個々の人生、生活に気がつかなかった、
E死を敗北としてとらえていたと整理し、在宅死を実現するために必要なこととしては@家にいられるという選択肢があることを
まず伝えること、A限られた時間であることを知らせること、Bどのような援助ができるかを伝えること、C家でも痛みなどの
症状緩和ができることを伝えることなどであると、重要ポイントを10か条にまとめて解説した。

 さらに「家族の献身と愛情だけでは在宅死は実現できない。信頼関係は嘘のないコミュニケーションでしか築かれない。
自己決定を支える看護が必要」と述べて医療情報公開の重要性を指摘した。また患者は「見こみの立たない医療は
受けるべきではない」とする一方で末期癌で貧血の強い30台の在宅患者に輸血をせがまれて行った事例の解説を行うなど、
「無駄に1分1秒を永らえさせるための医療は行わない」と言っても、それがいかに難しいことであるかを感じさせる講演となった。

 制度や慣習から見直す必要性が

 これを受けて』東海大学地域医療センター長の谷亀光則氏は、大学病院の特性から解説。在宅医療が普及しない
原因として、「入院医療は医療費が高いが家族の負担は比較的軽い、これに対し在宅医療は医療費が比較的安いが
家族の負担が重い、この構造的なものを直す必要がある」とし、「家族と生活ができるなどの在宅医療のよいところを
生かすためにも病院医療の利点と在宅の利点を組み合わせることが必要である」と述べた。また大学病院としては
要素還元主義主体の教育を見直し、自然科学だけでなく社会科学もバランスよく教えること、現在の総合診療化の
波を生かすなどが必要とした。

 パネルディスカッションでは菅原氏から訪問看護婦の業務として許されることと患者の実態のギャップ、また高嶌氏から
重症在宅患者の切実な医療ニーズなどが訴えられ、また会場からも訪問看護の実際についての活発な質疑が交わされた。